Don’t stop the music

 或は又、喫茶店なんかで人が沢山話し合っていますと、却ってどの話もハッキリ聴えないものですが、その中でひょいと『なにをぼんやりしているんだ』そんな声が聴えて、ハッとされたことはありませんか――これを幻聴と申しますが――私の場合は、それを押拡げて机に向ってぼんやり考えごとをしている時、ふと何処からともなく『今Mデパートから飛下りて死んだ人があるよ』そんな囁きが聴えたとします。そして、翌日何気なく開いた新聞の社会面にそのニュースを発見したとしたら、どんなに恐ろしいことでございましょう。
 そんなことが私にはよくあるのです。街の中を消防自動車が物凄い唸り声を上げて馳って行きます。私はその喧しい唸り声の中に『今に――座が焼けているんだ』そんな言葉をハッキリ聴きとることが出来るのでございます。そして、前申しましたように、恐ろしいことにはそれが、事実とぴったり符合するのでございます。

 洋次郎は、銀座の裏通りにある“ツリカゴ”という、小さい喫茶店が気に入って、何時からとはなく、そこの常連みたいになっていた。と、いってもわざわざ行く程でもないが出歩くのが好きな洋次郎は、ツイ便利な銀座へ毎日のように行き、行けば必ず“ツリカゴ”に寄るといった風であった。
“ツリカゴ”は小さい家だったけれど、中は皆ボックスばかりで、どのテーブルも真黒などっしりしたものであり、又客の尠い為でもあろうか、幾ら長く居ても、少しも厭な顔を見ないで済むのが、殊更に、気に入ってしまったのだ。
 何故ならば洋次郎は、その片隅のボックスでコーヒーを啜りながら、色々と他愛もない幻想に耽けることが、その気分が、たまらなく好ましかったからであった。

 海浜都市、K――。
 そこは、この邦に於ける最も華やかな、最も多彩な「夏」をもって知れている。
 まこと、K――町に、あの爽やかな「夏」の象徴であるむくむくと盛り上った雲の峰が立つと、一度にワーンと蜂の巣をつついたような活気が街に溢れ、長い長い冬眠から覚めて、老も若きも、町民の面には、一様に、何となく「期待」が輝くのである。実際、この町の人々は、一ヶ年の商を、たった二ヶ月の「夏」に済ませてしまうのであった。
 七月!
 既に藤の花も散り、あのじめじめとした悒鬱な梅雨が明けはなたれ、藤豆のぶら下った棚の下を、逞ましげな熊ン蜂がねむたげな羽音に乗って飛び交う……。
 爽かにも、甘い七月の風――。
 とどろに響く、遠い潮鳴り、磯の香――。
「さあ、夏だ――」